2026-07-15

【結成20周年に寄せて】きっかけになったあの日のこと。

2021年6月に実施した勉強会の1コマ。カメラマンに、撮影のスキルを教えてもらいました

今秋、「北九州ライターズネットワーク」は結成20年を迎えます。
結成時に生まれた赤子が成人すると思うと、すごい年月です。
調べてみると、北九州発の航空会社「スターフライヤー」も今年、就航20周年だそう。
2010年からコロナ禍になるまでの約10年間、機内誌制作に携わっていたので
個人的には感慨深いものがあります。

20年前は30代だった働き盛りも、
昨日食べた食事の内容を瞬時に思い出せないお年頃になりましたが、
ライターズネットワークが誕生するきっかけになった日のことは、
今も鮮明に覚えています。

当時は紙媒体の仕事が多い時代。
タウン情報誌の編集部を辞め、フリーランスになって3年ほど経っていた私は、
街ネタやグルメ取材、インタビューなどの仕事を中心に活動していました。

モットーは「声をかけてもらった案件は断らない」。

「今は経験を積む時期だ」と割り切り、
先方の言い値でがむしゃらに突っ走ってきたものの、
3年ほど経って仕事の量が増えてくると、
1つの案件ごとに時給換算するようになり、その単価の低さに白目をむいていました。

しかしフリーランスという立場の弱さと、
思ったことをはっきり言えない性格の弱さが仇となり、
金額交渉をする勇気が持てないまま、悶々とした日々を過ごしていました。

ある日、ある雑誌の編集部に呼ばれ、連載企画のインタビュー案件を依頼されました。
取材対象に会い、インタビューをし、その録音データをテープ起こししながら文章にまとめ、先方にチェックをしてもらい、修正、納品・・
この過程を超特急で、という内容です。

いつものように業務内容に見合わないギャラを提示され、
喉元まで込み上がってくる「金額を上げてもらえませんか」という言葉を
葛藤の末に飲み込み、編集部を後にしました。

この打ち合わせには、同じ仕事を依頼された、初対面のライターさんも同席していました。打ち合わせ後、編集部のビルを出たところでふと目が合いました。

会釈をする前に思わず「・・・この仕事のギャラ、安くないですか?」

咄嗟に口から漏れたその一言で、意気投合。
その後、お互いに抱えていた不満を語り合い、「私だけじゃなかったんだ!」と嬉しくなったことを覚えています。

そこからはとんとん拍子です。

「任意団体を作ってギャラの交渉をしやすくしよう」
「一人だと請けられない仕事も、力を合わせて請けられるようにしよう」
「“困ったときはお互い様”と言い合える仲間を作ろう」など、
フリーランスで抱えていたさまざまな不安や不満を解消させるため、
北九州市内で個々に動いているライターさんに声をかけました。
同じ気持ちを抱えていたフリーのライターたちが集まり、
2006年の秋、北九州ライターズネットワークは産声を上げました。

ちなみに目が合った相手は、今もメンバーとして所属している松井美由紀さん。
彼女は東京の編集プロダクションでバリバリのキャリアを積んでいましたが、
結婚を機に北九州へ。見知らぬ土地で子育てをしながらフリーのライターをしていました(2015年に北九州ライターズネットワークが主催した大平一枝さんの文章講座も、松井さんが東京時代に共に働いていた同僚ということで実現したものです)。

節目を迎え、記憶の中にあった発足エピソードの一つを綴ってみましたが、
若さゆえに頑張れていた苦しい日々や、
ライターという仕事をしていたからこそ出会えた人たちの顔が思い出され、
しみじみとした気持ちにもなりました。
発足のきっかけとなった編集部は、もうありません。
紙媒体の仕事も、ぐんと減りました。時代は変わりました。

今はインタビューをしてもテープ起こしをすることはないし、
フリーランスの立場を保護する法律なども登場し、仕事の環境は向上。
生成A Iの登場は、我々にとっては良くも悪くもすごい事件です。

ともあれ、何かを長く継続させるというのは、
そのための努力と工夫が不可欠であり、尊いこと。
今いるメンバーとは互いに、この激動の年月をよくぞ生き残ってきたねと、
労をねぎらいたい気分です。

勢いで発足したものの、メンバーひとりひとりの努力や仲間への思いやり(←これが一番大きいと思っている)で続いてきた「北九州ライターズネットワーク」。
このコラムも、ものすごく締め切りをオーバーしているのに、
まだ誰からも注意されていません(本当にすみません…)。

この緩やかで頼りになる関係を、1年1年、続けていけたらなと思っています。

(谷口)

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