2021-09-06

心はどこに向いているか

「何が苦しいか、うまく言えないけど苦しい」

心理セラピーの現場で、このような声を聴く機会が増えています。長く続く自粛生活に誰もが疲れていると思いますが、話を聴いていくと、私にとっては馴染み深い苦しさを抱えている人が多いように感じます。

もう30年ほど前になりますが、私が就職で上京してすぐに、母がうつ病を発症しました。主治医には完治しないかもしれないと言われ、当時は情報も少なく、出口の見えないトンネルを手探りで歩くような15年間を過ごしていました。途中、私は結婚し子どもも生まれましたが、幸せを感じれば感じるほど、母に対する罪悪感は膨らみ、心は常に重く、幼い子どもや夫といても、気づけば母に心が向いていることがよくありました。

私の場合極端な例ですが、わかりにくいカタチで無意識に親を背負っている人、心が親に向いている人たちがいます。生まれ育った環境の中で取り込んできた「こうあるべき」に現実がそぐわず葛藤している人、周り(=親)に認めてもらうために頑張り続けている人、「いい子」に育てなければ、「いい母」でなければと、世間の目(=親)を気にしてしまう人。

親や自分の中にある良心に背くとき、罪悪感が伴います。だから、なかなか抜け出せません。しかし、罪悪感は自立のサインでもあります。私は母を助けたかったのですが、娘ができることは、母からもらった愛情や、母が支払った代償による価値を全て受け取って、前を向いて生きていくことでした。恩は返すのではなく、次の世代に手渡していくことが、水は上から下に流れるのと同じように自然なことなのです。

私は本当の意味で自立するのに随分時間がかかってしまいましたが、母ではなく、新しい家族に心を向けることができるようになり、やっと呼吸が楽になったものです。自然な方向を見ることで、周りの誰もが安定します。受け継いできた「こうあるべき」という価値観も良心も、今の自分や家族に合うものへアップデートしていけば皆楽になるでしょう。

母はあれから一度再発しましたが、77歳の今はとても元気です。

(松井)

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です